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諸国漫遊記
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   アルゲリョの見せた表情


(アルゲリョのオフィスにて)

 7月1日早朝、ニカラグアの首都マナグアで元3階級王者アレクシス・アルゲリョが死亡たというニュースを私は深夜インターネットの記事で知った。
 それらの記事を目にしたとき、私はにわかに信じがたかった、その大半の記事でそれは自殺だったと報じられていたからだ。
 このとき私はある日、見た彼の眼差しを思い浮かべていた、、、

 2年前の秋、私は当時市長補佐を務めていたアレクシス・アルゲリョにインタビューをする機会があった。私はそのインタビューの中で彼の現役時代、常に強者を相手に挑戦し続けた姿勢について触れると、
 「私は現役時代、全ての時において自分のベストを尽くしてきました。そしてそれは(政界で国に携わる)今でも変わりはしないのです。現在の私の仕事も非常にタフなチャレンジですが、、、」
 と、前置きした後で彼は言った、
「これはあの時と少しも劣らない”素晴らしいチャレンジ”なのです。」
 かけている眼鏡のレンズの奥で、彼は大きく目を見開いていた。それは強いまなざしだった。
 私には彼が自ら命を絶ったというのが信じられなかった。


(彼の眼差しはとても強かった)

 私が訪れたニカラグアという国でアレクシス・アルゲリョは正に真の国民的英雄だった。マナグアや他の街であった人々は誰もが彼を自分の事の様に誇らしげに語った。
 彼のボクサーとしての偉業は既に多くの場所で語られているのでここではあえて触れはしない。そのスタイリッシュなボクシングスタイル、そしてそれ以上にスマートな立ち振る舞いは素晴らしく、常に紳士的に誰とでも接していた。それは私のようなどこの馬の骨とも知れない者に対し多忙の中、時間を作ってくれ、こちらの目を見据えながら長きにわたり質問に答えてくれた事でも充分に伝わって来た。


(彼は多忙の中、時間を割いてインタビューに答えてくれた)

 インタビューの中で、彼は一向によくならない気配のない国の情勢に心を痛めていた、ニカラグア国民、中南米の人々に積み重ねる努力を知り、責任感を持ち、そんな自分を信じなければならないと何度も訴えていた。
 彼が訴えていたもの、それはこのインタビューにたどり着く迄の過程の中で、私にも少しは理解出来た。
 彼のオフィスにたどり着くまで、数度、直前に延期を言い渡され、頼んでもいない(アルゲリョが書いたわけではない、誰かが書いた)サインを渡されて帰されそうになった。嘘も何度も聞かされた。それが彼の回りで働いている人間達だった。皆とても親切ではあったが、そこには責任感というものが欠落しているように私には思われた。


(秘書の彼女も親切で礼儀正しくはあったが、誠実感はというと、、、)


(マナグアの試合会場、決して治安の良い立地ではなかった)


(マナグア市内の大学の側にあった革命家チェ・ゲバラのモニュメント、彼もまたアルゲリョと同じく勤勉だった、その価値をゲバラも回りの人間に伝えるのに苦労したという)

 アルゲリョの死を知った翌々日、私に一通のメールが届いた、現地マナグアでプロモーターとして活動しているマルセロ・サンチェス氏からだ。
 私はアルゲリョの胸を打ち抜いての自殺と言う報道に疑問を感じていた。
 何故頭ではなく胸だったのだろう、その死に方は不自然に感じられた。またニカラグアの政府から未だに公式な死因の発表等は出されていことも不自然に思えた。
何より”素晴らしいチャレンジ”と語った時の彼のあの眼差しが私には忘れられなかったのだ。
そのため私は当時ニカラグアで試合を観戦したときにお世話になった、サンチェス氏に国情を尋ねていた
その返事だった。


(写真右から2番目がサンチェス氏、ドイツの試合で再開をした)

 彼の語るところではこうだった、今年の初め、アルゲリョはようやく選挙によってマナグア市長になった。そして自分の目指していた街作りを始めたとき、市長という自分の権限があらゆる他の政治的力によって潰されていくのを次第に理解し苦しみを感じていた、という。
そのため多くの国民はアルゲリョの死が自殺だと受け止めているそうだ。
 私も彼の死を受け止めなければならないのだと思った。


(オフィスの風景)


(多くのトロフィーが飾られていた)


(アルゲリョの試合風景)

 実を言えばあのインタビューを申し出たとき、私は彼の事を殆ど何も知らなかった。あのとき分かっていた事は彼が複数の階級を征した名王者ということと、私の現在ボクシングジムを経営している父にとってアレクシス・アルゲリョが最高のボクサーであることだけだった。
 私が彼の偉大さをもっと深く知ったのはその後のことだった。
 アルゲリョと対面する日、私は付け焼き刃の情報で彼の元を訪れた。その話しの中、掴みとして始めたニカラグア、中米等の治安や政治の話しで40分以上時間を費やしてしまった、ボクシングの話しはその後の20分程度だったと思う。

 だがあの時、私にはアルゲリョはボクシングのことよりも国のことを話していた姿のほうが生き生きして見えた。
しかし、
 笑顔を見せ話しながらも、時に見せた表情はまた苦しそうにも見えた。


(街の風景、この現実を彼は変えたかったのだ)

  アルゲリョのオフィスに入ったとき彼はまず握手を求めて来た、大きな柔らかな手のひらだった。

  私は今、その手のひらに触れた自分の手のひらを合わせ彼の冥福を祈っている。


(父のジムにもアルゲリョの写真が飾られてある)
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  • 無題
Manu Chao 2009/07/16(Thu)14:00:10 編集
非常に貴重なインタビュー、僕もアルゲリョが好きなのでありがたく読ませてもらいました。彼は自殺ではなく、他殺の可能性が大きいのでしょうかね。ところで違うトピックでのニカラグアボクシング観戦も非常におもしろかったです。
  • 追悼
nazunayh 2009/07/17(Fri)10:28:47 編集
スタイリッシュなリングでの姿と同時に、ニカラグアという国を背負ってアメリカで戦っていたことの重さを想います。同世代の人間として、ボクサーとしての彼にはもちろん魅かれますが、スポーツと政治というテーマでも関心をもった人でした。彼の挫折が悲しいです。
  • 無題
中屋一生 2009/07/19(Sun)00:17:04 編集
Manu Chao!さん、nazunayhさん
コメントありがとうございます。

僕も今にして貴重な体験が出来たのだと感じております。
アルゲリョは日本のウィニング社の方々がグローブの研究の為、メキシコに訪れている姿を見たことがあるようなのですが、彼等に対し非常に熱心だったと本当に感心しておられました。日本人の素晴らしさを見た、と言っていました。
自分の事ではないのに嬉しくなった事を思えています。
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