忍者ブログ
Admin*Write*Comment
諸国漫遊記
[1]  [2
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


(似合っているということでおっちゃんはおしゃれだと思いました。)

 旅をしている間、いろいろな格好をしていた人を見かけた。

 もうね、全く理解に苦しむ格好や、ちょっと考えて、やっぱり変なだと思う格好、しっかりと考えてもやっぱりダサ、、いろんな方々がいましたよ。

 そんな中、やっぱり民族衣装はどの国も格好が良かったなぁ。やっぱりスーツではなく、各国の民族衣装がそれぞれの国のフォーマルスタイルだったらいいなぁ、と感じたもんだ。

 ちょんまげ、着物で、満員電車、、、やっぱちょっとそれは、、、

 まぁ、それでもね、思いながら旅してたんですよ、なんだろう本当のおしゃれって。まぁ、本当は本当はそんなことたいして考えてな、、

 だってスーツなんて思いっきり欧米中心の服じゃないですか。向こうの人が似合って、日本人はいまいちなんてあたりまえですよ。なんか前にも書いた気がするなぁ。

 まぁ、でも本当におしゃれだと思うのは、きっとその人に合っているか合っていないか、だと思うんだ。

 別にダサくたって構わない。ダサく似合ってるからいいだよ。もう中部のアメリカ人のジーパンの着こなしなんてn、本当にだ、、

 日本の本当のフォーマルスタイルとはなんだろうか。節電が必至の今年の夏、日本人はどんなフォーマルスタイルをするのだろうと考える。


 *八王子中屋BOX

 芋生敏幸のデビュー戦について
  沢山の大きな声援に応えた芋生敏幸のデビュー戦
PR

(それは、無駄に頑張る苦行のようでもあり、、)

 僕がポーランドを旅したのは3年前の夏の終わりだった。

 丁度、精力的に動き回るのが億劫な時期でね、何をやっていたのか余り記憶にないのだ。まぁ、2年もほっつき歩いていればやる気が出ない日もあるでしょう。

 もし、そんなやる気のない事態に、旅先で遭遇したらどうすれば良いか?

 もうね、無理矢理に動くんだ。

 そこには何の感情がなくても身体だけは動かすのだ。

 するとね、

 やっぱり無駄な時間を過ごすんだよ、、、

 そんなときに動いても、何にも頭にも心にも留まらないんだ。

 ただ、その1日をこなすかこなさないかで、次の国で、次の街で、次の日で気持ちが変わっているんだね。無駄な時間への後悔と反省ののちに何かが生まれているのだ。

 それは明日への情熱とも言えただろうか。その日を捨てるようにして実は捨てない事とで、それが明日への情熱を与えるような行為なっていたかもしれないのだ。

 あるいはそれはボクサーがロードワークに行くのがダルいとき、今日は走るか、走らないかで悩む感覚と似ているのかもしれない。いや、それはないな、あれはあくまで漫遊だった、、

 まぁ少なくとも旅の間は出来るだけ、寝るのが、食べるのが、そして息を吸うのが当たり前のようにして、同様に歩き続けていた。

 旅では息することと歩くこと、僕には同じものだった。

 当たり前となった時になんとなく、自分の旅のスタイルが見えてきた気がした。
 

*八王子中屋BOX

 八王子中屋のランカーや王者に送るの読み物情報物『誠通信』『雅瓦版』が完成したことについて
  完成!誠通信、雅瓦版!

(ワルシャワのオールドシティにいるオールドマン)

 東欧、ポーランドはとても若者が多い、らしい。

 人口の50、60%だったかが40歳以下だと言うのだ。

 日本はどうだったっけ?65歳以上が高齢者で5人に1人らしいですよ。

 まいったなぁ、それではもしも僕が将来、じぃさんになるまで生き残っていたとして、一体誰が僕、というより社会そのものを支えるんだろうか。

 それはこれから生まれて来る子供達だ。

 だからそんな子供をこれから産むであろう今の子供達、タバコとお酒は20歳を超えてからだ。いや、出来れば拘らん方がよい。

 
 と、将来そんな不安一杯の僕は過去、若者大国ポーランドに訪れたことがあるんだ。

 しかし、特別若者が多かったという記憶はないなぁ、カワイイ子はもの凄く多かったけどね。

 いや、むしろおじいちゃんやおばあちゃんを多く見かけたような気がするよ。

 まぁ、昼間っからあらゆる公園でポカポカしてりゃ、見かけるのはご老人か、自由人ぐらいか。

 皆、若者盛りの真夜中、僕はベッドでおねんねしてたもんだ。

 よく旅の間、公園等で会ったおじいちゃんやばあちゃんに「ああ、落ち着く、若者と話してる気がしない。」と言われたよ。

 みんなそれぞれの国々で元気にやっているかなぁ。みんな、無事に日本に帰ってこれたよ! 
 ワルシャワは大都会でした。
 ビルが中心街には立ち並び、思いのほか英語もかなりの人が喋れていました。
 しかし、この旅で何度か訪れた”谷間の時間帯”がここでも僕に襲いかかり、まぁ、ただ単に疲れて動く記しなかっただけなんですけどね。
 そのためワルシャワでは本当に何をするでもなくほっつき歩いては公園で寝て、ほっつき歩いては、、の繰り返しをしていたわけです。
 NYで知り合った、友達の友達にひょっとしたら出会うかも、などと考えていましたが、この広さではまずないですね。
 いい休養が出来ました。


(おお、こんなのあると思わなかった、しつれいしました!)


(こ、これは毎朝、くぐるのがキツいなぁ、、)


(オールドシティ)


(思っていたよりも街はカラフルでした。まぁ、ロシア的なのでしょうか無機質な建物もありましたが、、)


(このオッチャンに撮影後、「こら〜」みたいな感じで追いかけられました、あー、怖かった)


(第二次大戦時に多くの建物が破壊された為に都会化できた(できてしまった)のでしょうね、、、街には僅かに昔の建物もありました。)


(戦争当時を描いたモニュメントでしょうかね)


(若者のカルチャーは何処も変わりませんね、時代を変えるのは君たちですよ)

 今はエストニアの首都タリンにいます。



 アウシュビッツについては幾つかの書物を読んだことがありました。
 第二次世界大戦時に設立された収容所、約150万人もの人間達殺害されたと言います。ある時は、飢えで、ある時は暴力で、またあるときはガス室でまとめて、、、そんなナチスのというよりも人類の負の遺産として残されているのがこの場所なのです。
 当時の所長だったルドルフ・へスの書記を読んだことがあります、「私は人間の尊厳を破った」と綴り、自分のしてきたことを度々後悔いている文が綴ってありました。度重なるヨーロッパの世界大戦について書かれた物でもこのアウシュビッツで起こったことは大きな歴史的大事件として記録され、ユダヤ人について書かれた書物では彼等の特異な人種性を読みました。
 当初、今回の日記は今までに読んできたこうした書物から得た知識と現場の雰囲との比較を自分なりにしてみようと考えておりましたが、実際にここアウシュビッツに来て、すこしその考えが変わったのです。

 アウシュビッツは現在、本収容所のオシフィエンチム(1号)とそこから3キロ離れた場所にあるブジェジンカ(2号)の二つが戦争時以来のまま保管されているのですが、最初に回った本収容所では僕は過去に読んだ物を頭に思い浮かべながらその現場を目の当たりにしていました。それはどこも容赦のない残酷な描写が各建物内(現在、各収容所内では美術館のように当時に使われた物や写真が飾ってあるのです)でなされていました。それらは見ているこちらに訴えてくるものがたくさんありました。

 
(オシフィエンチム収容所の正門、”働けば自由になる”と書かれているそうです、嗚呼、、、)


(嗚呼、自由な色のシャツですね、、、)


(各収容所は現在、美術館のようにして中で色々な物を展示してありました)


(当時の囚人服、本当は幾つかの鉋内は写真禁止だったそうです、すみませんでした!)


(これなんだと思います?全部人の髪の毛です、ナチスは収容者殺害後、この髪の毛を使い布を作って売りさばいていたそうです、、ここも本当は禁止です、知りませんでした、ごめんなさい!)


(死の壁、ここで銃殺が繰り返されたそうです、、)


(中にはアートで当時を表現する館もありました、ここは撮影してよかったんですよ)


 しかし、その後バスで向った2号収容所ブジェジンカでのことでした。
 この日はあいにく天候が崩れ、時折雨もぱらついていたのですが、そんな中、ある程度全部見て回り、(アウシュビッツは本当に大変な所だったんだなぁ、)と思いながら帰ろうとしたとき、空の雨雲の間から美しい日の光が覗き、アウシュビッツをキラキラと輝かしていたんですよね。
 そんな光景を見て、その時、僕はただぼんやり見つめるだけでした。
 その後、帰りのバスを見る間、何となく、
(ああ、そんなことは本には書かれてなかったなぁ)
 と思い、そして、ここは本当に悲惨な時代があった、でも、そうした時代の中でもこの日のように空がここを輝かせた瞬間もあったのではないか、そしてそれは強制的に収容された人々に僅かな生きる望みを想像させたこともあったのではないか、、、 勝手な思い込みでしたが、そう思えるくらい美しい光景だったのです。

 そう思えた時、僕がここに来た意味があったのだ、と本当に思えた瞬間でした。
 


(そしてバスでブジェジンカ(2号)につきました)


(イスラエルからの学生達も国旗を持ち収容所内を回っていました、彼等にはどのようにここが目に映ったでしょうかね)


(ここがあの大量虐殺が行われた元ガス室、焼却炉です。いまは崩れてみる影もありません)


(そのすぐ側にあった列車のレール、ユダヤ人の殆どがここに到着してすぐにガス室に送られ、その命を失ったそうです)


(雨がぱらつくこともありました)


(当時そのままの収容所)


(たくさんの人々が苦しい生活をここでしていたそうです)


(本当に輝く瞬間がありました。見とれて写真は遅れました(笑)イスラエルの学生達も見ていてくれていればと思いました)


 決して本の内容を覚えていなかったから比較をやめたわけではないですよ!面倒だったからあの光景が美しかったからなのです!

 次の日、ポーランドの首都、ワルシャワに向いました。
 

  • ABOUT
5年のNY生活、約2年の旅を振り返ります!
  • 王者になるまで
  • 八王子中屋ジム試合風景
  • 八王子中屋ジム練習風景
  • 最新CM
[05/09 ジムHP管理人]
[05/05 あめちゃん]
[08/04 管理人]
[08/04 管理人]
[08/02 ボクサーひこ]
  • カレンダー
12 2018/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
  • プロフィール
■管理人:
中屋一生
■中屋一生 E-mail issei45456@hotmail.com

■掲載した記事・画像・映像を無断で複製・転載・販売することは固くお断り致します。

プライバシーポリシーについて
  • バーコード
  • ブログ内検索
  • アクセス解析
Copyright © 諸国漫遊記 All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]